
flowersalonosamu誕生のepisode 1
「なぜ花屋さんになったんですか?」と聞かれることがあります。
僕のまわりの同業の方々は「親がしてたから」とか「キレイそうだから」とかで、なるほどなと思うような結構まともな答えを返してきます。
僕はというと取っ掛りは不順で「もうかりそうだから」とか「他の仕事よりらくそうだから」とかで、理由からすれば本当にもう人としてはもうダメダメなラインで、なんともいいがたいような、たよりのないスタートでした。
時代はバブル経済末期。そんな時代に似た薄っぺらな小さい泡のような一人でした。
高校卒業後大学にも行けず、そんなふわふわした泡人間でもこの仕事についてから7年ほどがたち、お客さんが喜んでくれる「コツ」みたいなものがわかってきたころです。プライベートでも結婚して子供も生まれ、他人から見れば本当にごくあたりまえの普通の家庭をすごしていました。
自分が一人前になったような気がしたそんな頃に今でも忘れられない出来事が起きました。
注文用途は「お悔やみ」のフラワーギフト。お亡くなりになられた奥様のご主人様宛への配達です。その時はまだ「雇われ」でしたが、当日はスタッフがおらず繁忙期だったのでデザインから配達まですべてを一人でやりました。
インターホンを押すと初老のおじいさんが出迎えてくれ、送り主様を伝えるとその顔のシワの数を倍にするような笑顔で応えてくれました。そしてお届けのフラワーギフトを指示された場所に置くように言われました。
おじいさんは亡くなられた奥様共々よっぽど送り主様とつきあいが深いのでしょうか、配達人の僕をまるで注文主のようにあつかいだし、やれお茶だの、お菓子だのと、大切にもてなしだしました。
僕は内心、お年寄りの方の長話になりそうかなと思いながら聞いていました。5分ほど過ぎてやがて話しは奥様のことに移ってゆき、そろそろ停めてある車の駐禁が気になり始めた頃です。
・・・なぜか沈黙。
そして、そのくしゃくしゃの目には涙があふれていました。
そのうつろな眼はかつての婦人のすがたをおもい浮かべているようです。
初めてです。
ひとがそれほどまでに、がまん強く泣いているのを見たのは。
そう見えたのも彼の年齢が僕の3倍ほどあるからなのかもしれません。口ではわらっているのに泣いているのです。
なにも言えませんでした。
言えるはずがありません。
僕がこり固まってしまったのに気づき、夢から覚めたようにおじいさんはやさしく言いました。
「すまないね。初対面のひとに」とお辞儀をしました。
受け取りのサインをもらったあと、車の無事を確認してからもどうしてもあの涙を忘れることができませんでした。
そしてあるひとつの答えを導きました。
「理屈なんてない。ただ泣いていた」
人がひとに想う気持ち。理屈をつけることなどイロイロできます。しかしそれらはすべて後づけなのではないでしょうか。
人によっては逆に、いやな部分がたくさんあるのに、なぜかその人が好きという不思議なそして矛盾極まりない愛情というものもたくさんあるくらいです。
人への思いだけじゃなく、季節や時間、色や香り、形や場所。かぞえきれない程の好きなものは初めから決まっているかもしれません。すべてはすでに自分の中で答えは出ているはずです。
この花が好き。このお店がいい。このひとのそばにいたい。
理屈では通らない何か。言葉で表現できないこと。そんなことをこのやさしくも老いた心に学ばせていただきました。
後にも先にも花屋をして25年間でお客さんに泣かれたのはこれ1回のみです。そしてそれが僕が花屋になることを決意させた出来事だったのです。
初対面の人に泣かれるなんて、プライベートでもないです。後にも先にも。
僕の中の上っ面がちょびっとはがれた気がしました。それくらい印象深かったです。
話しは長くなりましたが、人の岐路というものは些細な出会いで変わってきます。
あのおじいさんがいなければ僕の職種も変わっていたかもしれません。あなたもこのサイトに飛ぶことはなかったでしょう。そんなものですよね。いろんなことは。
この話をさせていただいたのは、この7月より新しいスタッフさんを雇用したときに質問されたからです。「店長はなぜ花屋になったんですか?」と。その時は簡潔に「適当に仕事してたらじいさん泣かれて感動した」とまるでなんとか総理のように答えたのですが、あらためてまとめてみるとなんとも考えさせるできごとです。
僕も年をかさねてきたのでしょうか、この頃はなにかにつけてぐっと湧き上がる感情が多くなってきたようにおもいます。
このサイトに訪れて来た方はいかがでしょうか。なんとも言えない感情が多いほど、幸福感が増すのではないでしょうか。